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将棋先生の「盤上・盤外」この一手

湯の町別府の将棋教室から考察した社会をつづります

「投影」-あしたのジョーの孤独性

漫画

「われわれは、あしたのジョーである。」

この言葉をご存知だろうか?

1970年。
日本中の目を釘付けにしたハイジャック事件が起きた。
いわゆる「よど号」事件である。

犯人の赤軍派は9人。

彼らは、東京から福岡へ向かうボーイング727よど号」に乗客として乗り
込み、富士山上空に差し掛かったところで、日本刀・拳銃などを武器とし
て、テロを決行した。
日本初のハイジャックである。

わが国だけではなく、韓国まで巻き込んで、この事件は進んでいく。

強行突入を計画する韓国。
それは困ると阻止する日本。
あせる犯人グループ。
震える人質たち。
人質の身代わりとして、当時の運輸政務次官が乗り込む。
ぎりぎりの交渉。
一部、人質の解放。
ゆれる日本列島。
政府内部の意見の対立。
混乱。

結果として、人命尊重の立場をとる日本の考えがとおり、犯人たちのテロは
成功する。
彼らは、北朝鮮へと旅立っていった。

その時の彼らがこう言ったのだ。

「われわれは、あしたのジョーである。」

これは、テロ成功声明とも言えるだろう。

彼らがこの言葉をあらかじめ用意していたのかどうかは、わからない。
いずれにしても、文字にすればわずか15文字ほどのこの言葉は、
強烈な印象を残した。

思想に固められたテロリストたちが、もっとも愛されている子ども漫画を
引き合いに出す。
そこに、人々の関心が集まるのは、当然と言えば当然のことだった。

しかし、それだけではない。
同時に、不可解な言葉だったのだ。

なぜなら、この時点で、「あしたのジョー」はまだ連載中。
主人公のジョーは、これからの人生をどう歩んでいくのか、わからない。
つまり「あしたのジョーとは何か?」という問いの答えは、
まだ、どこにもなかったのだ。

ならば、彼らが自身を投影したジョーは、その時点までのジョーだった
はずだ。

そして、彼らなりのジョーはそこで完結していた。
そう考えるのが、わかりやすい。

実は、鍵はあった・・。

彼らが、日本初のハイジャックテロを犯すほんの1週間前、
その話題性においては比べるまでもないが、日本初のあることが行われて
いた。

ある漫画の登場人物が死に、その葬儀が、現実に行われたのである。
漫画の人物の葬儀に、きちんと僧侶がお経をあげ、弔問の客が訪れる。
もちろん、大人たちが行った儀式である。

その登場人物とはジョーのライバル・力石徹、その人。

力石の死、そして、それに続く葬儀と、彼らの声明は底流でつながって
いたのではないだろうか。

では、力石とは何だったのか。

一言で書けば、力石は「権力」であった。

世界チャンピオン確実といわれる実力。
しかも、彼の強靭な意思は、限界を超える減量をも達成させる。
そして、後ろ盾に、白石財閥。
実力、精神力、財力。
すべてを兼ねそろえた男。それが力石だった。

ジョーは、橋の下にジムを構え、飲んだくれのおっちゃんと、
つぎはぎだらけのサンドバッグを叩く毎日。

そのジョーと力石が戦う。

勝敗の行方は・・?

ジョーは完膚なきまでに叩きのめされ、KOされてしまう。
しかも・・。
勝利した力石は勝者のまま命を落としてしまい、
ジョーには、リベンジの機会さえ与えられない。

ジョーにとって、力石への勝利の門は永遠に閉ざされた・・。

これが、その時のジョーなのだ。
そして、力石の死を、葬儀でおくる社会。

彼らは、権力に立ち向かう姿と、その悲劇性に己を重ねたのであろう。
それは、理解できぬことではない。

しかし、僕は言いたい。

ジョーは一人で戦った。
少なくとも、リングの上での彼は、究極の孤独性を持っていた。

ハイジャックテロたちの声明を、もう一度、見よう。

「われわれは、あしたのジョーである。」

彼らが「われわれ」といった時、その孤独性は失われていた。

その矛盾を、僕らは、どこかで感じ取っていたのではないだろうか。

だからこそ、テロ声明に使われた「あしたのジョー」は、まったく批難の
対象にならなかったし、その後も、文学として続けられた。
そして、犯人たちに共鳴する大きな動きは起きなかった。

ずいぶん時がたった。

「真っ白な灰」になるまで燃えつきて、ジョーは幕を降ろした。

彼らは・・?

 

あしたのジョー ソングファイル

あしたのジョー ソングファイル