将棋先生の「盤上・盤外」この一手

湯の町別府の将棋教室から考察した社会をつづります

東を向いて笑う

東を向いて笑う

大人って理不尽だよな。
子どもの頃、そんなふうに思っていました。
近所のおじちゃん達もそう。学校の先生は少しましだけど、やっぱり同じ。お父ちゃんやお母ちゃんなんて、遠慮がない分、ひどい、ひどい。
でもね。僕、四十六歳にして、今、少しわかるんです。そんな理屈を越えた大人の言葉の中に、何かしらの真実があった・・。正しいとか正しくないとかいうような目盛りでは計れぬ、人としての知恵があった。そうも、思えるんです。         
科学の進歩、あふれる情報、グローバルスタンダード。親の世代までは考えられなかったうねりの中に、僕らが捨て去ろうとしている計測不能な理不尽さ。少し立ち止まるべきかも・・。そんな気もするんです。

幼かった頃、お初物を頂く時には東を向いて笑う、という妙なしきたりが、我が家にはありました。
お初物のさつまいもが食卓に並べば、母が、こう言うんです。
「さあ、今年初のおさつや。 東を向いて、大きな声で笑いなさい。」
そして、僕らは「わははは。」と笑う。それが、来年も健康でおさつを頂けるようにって願掛けなのです。
そのしきたりが原因で、ちょっとしたトラブルが起きました。 それは、僕が小学五年生の時でした。
食卓には初カボチャの煮物が並んでいました。 父は出張で、その晩は僕と母の二人だけ。 母がいつものように言いました。
「さあ、東を向いて、笑いなさい。」
でも、僕はいつものようには笑いませんでした。 だって、小学校の高学年ですよ。そろそろ反抗期。加えて、重石のような父は留守。条件はそろっています。ニコリともせずに、こう言い返しました。
「お母ちゃん、こんなん、おかしいやんか。」
きょとんとする母に、畳み掛けます。
「なんで、笑って食ったら、来年も食えるんか。科学的におかしいやんか。」
完全勝利を信じた僕の鼻の穴は大きく膨らんでいたことでしょう。しかし、母は哀れむような目で言いました。
「お前、学校行って、何、勉強しとる?」
意表をつかれました。だって、学校とは何の関係もないことでしょ。しきたり自体の理不尽に加え、この言葉。でもね、あまりにも意外な言葉は強いんです。言い返す言葉が見つからない。母は続けます。
「お初物のカボチャが出た。 黙々と食べるのと、家族がそろって笑って食べるのと、
どっちがいいか、わからんか。」
「・・・・。」
「何が科学的や。 家族がそろって笑う。それが幸せや。 そこに、理屈は、いらんぞ。お前、学校に行って、何、勉強しとる? つまらん理屈を覚えて、カボチャ頭になっとるぞ。 種ばかり増えたカボチャは、実が少なくなっておいしくないんだ。」
黙り込む僕に、母はニコリとして言います。
「勉強は『小利口(こりこう)のバカ者』になるためにするんじゃない。 何のための勉強か、考えてみい。 ほらほら、はよう笑って頂きなさい。」
僕は、なめくじのようにしぼみました。

それから、三十年以上が過ぎ、 母はずいぶん前に亡くなりました。そして僕は二人の子を授かり、新しい家庭を持つことができました。
 母はいない。偏屈だった父も年老いた。
でもね。僕は、笑ってるんです。東を向いて。

                了