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将棋先生の「盤上・盤外」この一手

湯の町別府の将棋教室から考察した社会をつづります

第3章「女王の国」 その(4)「倭国=さわだ食堂か?」

第3章「女王の国」 その(4)「倭国=さわだ食堂か?」


「女王の国」 (3)「ヒミコにぴったしカンカン」 - 将棋先生の「盤上・盤外」この一手


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これまで、ヒミコやヤマタイコクを中心に歴史を追いかけてきた。
こんな楽しみができるのも陳寿(ちんじゅ)さんの魏志倭人伝(ぎしわじんでん)のお陰だ。
やっぱ、陳寿さんにざぶとん1枚返そう。サンキュッ、ミスター陳寿っ。

ところで、「倭」です。って言い方も変だけど・・・。
とにかく倭。
教科書にはこう書いてある。

中国では紀元前後ごろの日本を「倭国」、日本人のことを「倭人」とよんでいた。


なるほど・・・。
じゃあ、日本人自身が自分の国のことを「ワコク」って名付けたんだろうか。
僕の中では、答えは簡単。
「そりゃ、ないでしょう。」ってことです。
理由も簡単。
だって、もし、日本人自身が「ワ」って名付けた、あるいは「ワ」って名前が日本の中で自然発生したものなら、その伝統を破って、途中から「ニッポン」って国名に変更するとは思えないもの・・。

そりゃあ、すごい革命や戦いとかが起こって、国自体が消滅、破壊そして新しい国家が生まれたってなことがあれば、国名変更もありうるだろうけれど・・・。

たとえば、今、
「国名を『ニッポン』から『ジャパン』に変更します。だってこれからは国際化の時代だもん。」
なんて総理が発表したらどうなるか・・。
そりゃあ、賛成・反対・・・おおもめにもめるだろう。
絶対、まとまらないと思うなあ・・・。
国名を変えるってのは、それほど大変なことだもんね。

国名がけっこうスムーズに、と言うか、うやむやのうちに「ワ」から「ニッポン」に変わったってことは、「ワ」という名を日本人自身が付けていなかったってことの証明じゃないだろうか。

じゃあ、弥生時代の人たちは自分の住む日本をなんとよんでいたんだろうか?
変な答えだけれど、僕は「何とも、よんでいなかった。」と思う。

たとえば、ヒミコの時代。
日本列島には最低でも三〇から一〇〇ぐらいの「国」が存在していた。
その中でも最大級のヤマタイコクでさえ、七万戸、一軒が五人家族として三五万人くらいの人口の「国」なのだ。あなたの住む市町村より多いですか?
同じ頃に国として存在したイトコクなんてたったの千戸だもん、五千人くらいで「国」だと言っていたのだ。
それで「国」だと満足していた人たちが、
ヤマタイコクもイトコクもその隣もそのまた隣も、とにかくぜーんぶひっくるめて何て国なの?」
なんて聞かれても「はあっ?」って感じになるのが当然だと思う。

では、なぜ、中国は日本のことを「倭」とよんだのか・・・。
この答えは二つある。
一つは「さわだ食堂」、もう一つは「カンガルー」である。

少し説明させてくださいね。
まず、「さわだ食堂」・・・。僕が学生の頃、通った定食屋さんだ。
とにかく、量が多くてうまい。さわだのおじさん元気かなあ・・。
もう二十年以上も前の話だもんなあ・・・。
いや、まあ、それは、ともかく・・。
ここの売り物は「日替わり定食」。いや、正確に言うと、それしかメニューがない。
で、僕らはのれんをくぐり、一言だけこう言う。
「おじさん、三人。」
つまり、「おじさん、僕らは三人でやってきましたよ。」という意志表示というか現状報告。これだけなのだ。
一方のおじさんは、これまた一言。
「へいっ。」
あとは、どんなおかずが出てくるか全然わからない。
パーフェクトに「おじさんにおまかせ定食」なのだ。
そして、僕らは文句も言わない。でも客は後を絶たない。
おじさんにまかせておけば、うまい食事が出てくるんだもん。
それ以来、僕は完全おまかせを「さわだ食堂」の心理状態とよぶようにした。
人間というものは心のどこかで「さわだ食堂」を望んでいるのだと思ってる。
専門家にまかせておけば、安心・・。そう思っているのだ。
あなたの「さわだ食堂」は何・・・?
いやいや、そんな話じゃなかった。
「倭」に話を戻そう。

「倭」はその「さわだ食堂」で生まれたと僕は考えている。

再現しよう。
中国(その頃は『漢』という国号)の役人が、たとえば、イトコクの王にこう聞いた。
「王様。王様の国はなんて名前ですか?」
「ふはははは。教えてやろう、『イトコク』じゃ。」
「ほう、『イトコク』ですか、いい名前ですなあ・・。で、何人くらい住んでるんですか?」
「ふはははは。驚くなよ。五千人以上じゃ。」
「えっ・・・・・。」
「ふはははは。どうした、声も出ぬのか。」
「いや、王様・・。こういっちゃなんですがね。あの、私、漢の役人なんですがね。漢の前にですね、秦って国があったんですよね。
 その秦の始皇帝って皇帝がですね。お墓を作ったんですよね。その墓の中に陶器で作った兵士の人形をおさめたんですよね。」
「おう、それが、どうした?」
「いや、言いにくいなあ・・。その人形の数なんですがね。七千なんです。人形が七千。イトコクは五千人。墓におさまった人形の数にもおよびません。
 たった五千人じゃあ、とても、国とは・・・・。まるで、ままごとですよ、そりゃあ。」
「・・・・・。」
「あれっ、王様、どうしたんです?目がしら押さえたりして・・。げげっ、ショックだったんですか。あーあ。やっぱり、言わなきゃよかったなあ・・。すみませんねえ。悪気はなかったんですよ。とにかくですねえ。私も上司に報告しなきゃいけないんです。じゃあですねえ。イトコクと、お隣の国とそのまたお隣、とにかくここらへんぜーんぶ含めてなんて呼んでるんですか?」
「・・・・・。」
「あれっ、王様、まだしぼんでるんですか?」
「いや、そんなこと考えたこともないんじゃ・・。ぜーんぶひっくるめてじゃと・・。そんなことは興味もないわい。わしはわしの国で精一杯じゃ。そうじゃのお、おぬしにまかせるわい。わしはもう寝る・・・。」
「ええっ。まかせるったって、そんな・・・。あーあ、行っちゃった・・。まあいいや。じゃあ私の国の専門家に相談してみるか・・・。」

てなわけで、専門家の出番。
専門家は考えた・・・。
「うーん!国の名前を付けろたって、そんな人まかせな・・・。じゃあ、まあやってみるか・・・。『人まかせ』な国だから・・。うーん・・・。『にんべん』に『まかせる』でいくか。よっしゃ、そうしよう。「人」に「委せる」と・・・。『倭』これだね。『倭国』で決まりっ!!」

千人から数十万人程度のちいさな集団を「国」と考えていた当時の日本人。
彼らの頭には国の集合体としての発想、つまり「日本」のような概念はなかった。
概念のないものに名前をつけることはない。
そこで文字の専門家である中国にその名をゆだねた。
こうして生まれた名前・・それが「倭」であった。

とまあ、これが僕の「倭国=さわだ食堂」説です。
では、もうひとつの可能性、「倭国=カンガルー」説とは・・・。

(次号に続きます。)


第3章「女王の国」 その(5)「倭国=カンガルーか?」 - 将棋先生の「盤上・盤外」この一手