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将棋先生の「盤上・盤外」この一手

湯の町別府の将棋教室から考察した社会をつづります

土器は語るよ(5) 「縄文のペリー、徐福さん」


土器は語るよ(5) 「縄文のペリー、徐福さん」


「始皇帝さんの悩み」 土器は語るよ(4) - 将棋先生の「盤上・盤外」この一手

 

三千人もの見知らぬ大船団が海を越えてやってきた。
それを見た縄文時代の人々はどう思っただろうか?
おそらく、一言「ひえーーーーー。」だと思う。
少なくとも「いらっしゃいませ。」はないだろうなあ。
この頃、日本の人口はだいたい二〇万人くらいだったって言われて
いる。
二〇万人が日本の各地に散らばっていたんだから、一つの地域には
たかが知れている。
縄文時代の集落の遺跡「青森県三内丸遺跡」には五百人くらいの人
が住んでいたと考えられている。これでも最大級だもんね。
もし闘ったとしたら、「五百人の縄文軍」対「三千人の徐福軍」だ。
一人で六人を倒して、やっと引き分け。
縄文日本人が全員Mr.ボブ・サップ(プロレスやK-1で活躍する
スーパースター。「野獣」のニックネームを持つ。)でもない限り、
こりゃあ、相手にならないよね。
江戸末期の黒船どころの騒ぎじゃない。
徐福さんは「縄文のペリー」だ。
いやいや、ごめんなさい。こりゃ、ちがうかな。
ペリーさんの方が「江戸の徐福」と呼ばれるべきかも知れない。
てなわけで、僕は徐福さんの到来が「縄文日本」にすごいインパク
トをもたらし、その衝撃が「弥生時代」を到来させたのではないか
と思っている。もっとつきつめれば、世界初の皇帝「始皇帝」さん
の個人的な健康志向が「弥生」を生んだと・・・。
縄文時代おわりのころ、すでに日本列島は国際社会の大きなうずの
中にいたのだ。
縄文日本は、「秦」という当時の超大国の、ほんの目と鼻の先に位
置しているのだから、それも当然のことだったと僕は考える。
とまあ、こんなふうに想像の輪を広げていったのです。
歴史教科書を見て、「土器の名前が変だぞ。」って思ったことが、
想像の世界の扉を開けたのですね。
そして、それは縄文日本と弥生日本の断層面につながり、悩める
始皇帝さん」とちょっとあやしい「徐福さん」の登場にまでおよ
んでしまった。
振り返れば、僕にとって、それは、とてもスリリングな作業だった
し、これが、僕流の歴史教科書の楽しみ方なんですね。
では、この章「土器は語るよ(縄文と弥生)」の最後に、僕のかみ
さんの感想を・・・。
「おもしろかったよ。
 受験勉強のための歴史って嫌いだったけど、興味が持てたなあ。
 カメは万年の話で縄文時代が1万年前ごろから始まったってのも
 覚えちゃったし・・。
 始皇帝や徐福って人が縄文時代弥生時代の橋渡し役ってのは、
 ありえそうな気がしたなあ。そう考えるとドラマを感じるね。
 でも、ちょっと説明がくどい気もするよ。もう一工夫かもね。」
サンキュッ!かみさん!
さあ、ここらへんで、教科書の次のページをめくってみます。
おお、次は「女王の国」と書いてあるぞ。
(次号に続きます。)


女王の国 (1)「暴走族の落書き」 - 将棋先生の「盤上・盤外」この一手