将棋先生の「盤上・盤外」この一手

湯の町別府の将棋教室から考察した社会をつづります

カーニバルと茶の湯      土器は語るよ(3)

カーニバルと茶の湯      土器は語るよ(3)


土器は語るよ(2) - 将棋先生の「盤上・盤外」この一手


例えば、「石器」はどうだろう?
教科書にはこうあります。
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石を打ちくだいて作った石器を「打製(だせい)石器」と呼ぶ。
石を磨いて作った石器を「磨製(ませい)石器」と呼ぶ。
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これは、よくわかる。僕にとって納得の命名です。
そして、打製石器が使われた時代と磨製石器が使われた時代を、そ
れぞれ「旧石器時代」「新石器時代」と呼んでいる。
これも、「新」「旧」でわかりやすい。

歴史だけに限らない。例えば、野球でも「軟式野球」や「硬式野球
てなぐあいにうまいこと名付けられている。

こんなふうに考えれば、土器だって、例えば、「旧土器」と「新土
器」と名付ければよかったはずだ。
または、その硬さから「軟土器」「硬土器」なんて付け方だってあっ
ただろう。

土器だけが、一方を「もよう」から一方を「出土地」からなんて、
ちぐはぐな命名になっている。

いや、もしかすると・・・。
もしかすると、そういう、ちぐはぐな命名こそ真実を表しているの
ではないか。

つまり、縄文土器と弥生土器の違いは、両方とも「土器」でありな
がらも、「新」や「旧」、あるいは「軟」や「硬」で分類できるよ
うなたぐいのものでは、なかったかもしれない。

ひょっとすると、同じ「ゴールをねらう球技」でも、「サッカー」
と「バスケットボール」がまったく違うように、同じ「土で作った
器」でも、根本的に違う何かがそこにあったのじゃないか。

それを歴史学者さんたちは、意識的、あるいは無意識のうちに認め
ていたんじゃないか。

中学生用の資料集などで調べてみると・・・。
縄文土器は縄のもようという特徴だけでなく「炎が燃えあがる」デ
ザインや「ヘビがからみつく」デザインなど実に多種多様である。
土器だけではなく、みなさんもきっと教科書などで一度は目にした
ことがあるでしょう、そうそうあのスキーのゴーグルをつけたよう
な土の人形、土偶(どぐう)。あれだって、すごくけばけばしい情
熱的なデザインですよね。
そう、「情熱」・・・。まるで、音量特大の汗ほとばしるリオのカー
ニバルだ。

一方の弥生土器はかろうじて幾何学的なもようがついている初期の
物もあるが、後期になると、ほとんどこれといったもようはない。
これじゃあ、もようから名前のつけようがないよね。
こちらは「静けさ」・・・。「しーん」・・・。
そう、まるで、茶の湯である。

「縄文と弥生」は、「サッカーとバスケ」、「カーニバルと茶の湯
ほどの違いがあるように僕には思える。

ところで、前にも書いたように、教科書の中には、大陸の文化の影
響を受け、縄文土器が発展・進歩して弥生土器になったように、あ
るいは、そう思わせるように書いてるものがある。
実際に、僕たち世代(ちなみに、僕、40台前半です。だから、
1970年代に中学生)は、そう習った。

でも・・。
ちょいと自然に考えてください。

ホントに縄文土器を作った人と弥生土器を作った人は同じ文化の流
れを受け継ぐ人々なのだろうか。
それまでカーニバルダンスおどってた人達が、よそからの文化の影
響を受けて、いっせいに正座してお茶をたてようとするだろうか・・。
そんな発展・進歩ってあるだろうか・・。 
そりゃ、ないでしょう。
だって、カーニバルがカーニバルで、茶の湯茶の湯でそれぞれ独
立し成熟した文化なのだから・・。

僕はこう考える。

「縄文土器」を作った文化と「弥生土器」を作った文化は連続・発
展したものではない。そこには、はっきりとした「断絶」がある。
そして「断絶」を生む「衝撃的な大事件」があったに違いない。
僕は、その「衝撃的な大事件」に、教科書でもおなじみの
「秦(しん)」の「始皇帝(しこうてい)」さんが関わっていると
推理している。

(次号に続きます。)


「始皇帝さんの悩み」 土器は語るよ(4) - 将棋先生の「盤上・盤外」この一手