「だめだよ、村山くん」――村山聖という現実
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観てね~。
『昭和天皇の戦後日本』を読んだんです
『昭和天皇の戦後日本』を読んだんです。
激動動乱の時代の憲法上の主権者、それでも立憲君主を貫いたとされる昭和天皇。その実像に迫ろうとする渾身の著作です。
決断(聖断)を下したとされる2.2.6事件、終戦の御前会議。本当に、これ以外は、いわゆる象徴としての天皇を貫いたのか。という疑問。
著者は、膨大な資料を元に、そうではないと主張しています。
天皇という連綿と続く歴史を護るため、昭和天皇は、様々な場面で象徴ではない顔を見せた。
そう語っているのです。
僕が薄ぼんやり思い描ていた天皇の姿とは、かなり違っていました。
もちろん、これについてはたくさんの異論があるでしょう。
しかし、正鵠を得ている、そんな感じを醸し出す一冊でした。
清原和博選手の逮捕
いったい、なぜ?
清原選手…。あれだけの実績を残した選手です。
素質に加え、想像を絶するほどの努力をしてきたはずです。
その過程から、不屈の精神力だって身につけていたはずです。
だのになぜ。
そんなことを考えながら、将星会のことを思いました。
将星会が子ども達にできることは、ほんのほんの小さなことです。
●盤面に向かった時には「あしか」という基本を守る。
「あいさつ」「しずかに」「勝っていばらず、負けてくさらず」
つまり自制心を身につけること。
簡単に見えますよね。でも、これを守るのは難しいのです。
だって、将棋は磨き合いであり、それは、精神の摩擦に他ならないのですから。
時に心がざらつくのも無理はないのです。
だから、年月をかけて磨かれていく。
「あしか」は「基本」であり「目標」でもあるのです。
僕は、子ども達に愚直にこれを繰り返すしかすべを持ちません。
基本を目標にする。
いや、基本こそが目標。
還暦が近づいた僕自身も、再考するチャンスを得たのではないかと思います。
清原選手の再チャレンジを祈りつつ。
『偶然完全-勝新太郎伝-』を読んだんです
『偶然完全-勝新太郎伝-』を読んだんです。
勝新太郎さん。その破天荒さに一種の恐れ、どこかで憧れ、嫌悪、そんなもろもろを感じてもいました。
何度か警察のご厄介にもなりましたよね。
パンツの中に麻薬を隠していたり。
そうそう、その時の取り調べで、「一番大切なのは真実だ」と言われ、「いや、一番大切なのは秘密だよ」と言い返したとか…。
「総理大臣の代わりはいても、勝新の代わりはいない」とか。
どこまでがリアルで、どこからがフィクションなのか線引きができない人間。
自己演出なのか否か。
でも、人間は大なり小なり自己演出しているんじゃないかなあ。
最たるものが、釈迦でありキリストであり。
つきつめれば、神々しささえ放つ。
筆者は、勝さんの最後の弟子を自認しています。
だから、勝愛に満ちている。
この本は如是我聞ですね。
潜在的な面で言えば、弟子ってたくさんいるんじゃないかなあ。そんな弟子達に記した教本。
そんな感じ。
読んで良かったなあって素直に思えます。
データー
『巨人軍の巨人 馬場正平』を読んだんです
少し前、『1964年のジャイアント馬場』について書いたんですが。
今回は『巨人軍の巨人 馬場正平』です。
『1964年…』は、一言で言えば、「おまえらアスリートとしての馬場のすごさを知ってるのか」って投げかけてくるんですよ。たしかに、晩年の馬場は動きものろかったよな。けどな、元々あの巨人軍の選手なんだぞ。すごいんだ。プロレスラーに転向してから、アメリカで大活躍なんだぞ。著名度や稼ぎなんて、今のイチローなんか問題にならねえんだぞ。
『巨人軍の巨人…』は、極端に言えば、逆。
馬場は野球人としてはたいしたことないんだよね。野球人・馬場の活躍は2軍でのもの。当時の2軍は、現在のプロ野球と違って、もともとたいしたことがなかった。資料もちゃんと用意して、そう語りかけてくるんです。むしろ、止まらぬ成長に悩む人間・馬場正平の苦悩を描いています。
両者の違いは明らかですが、『巨人軍の巨人…』はプロレスラーとしての馬場については『1964年…』を読んでくれって書いてある。
僕は、どちらがどうとも言えません。でも、馬場は大好き。その馬場について、いろんなことを知ることができた。それで十分ですし、そしてですよ。
そして、『巨人軍の巨人』の表紙をもう一度見てください。
この足の上がりっぷり。
これ、星飛雄馬じゃんか。
やっぱり、すごそう。